80年代中盤に起こった新日本プロレスの大量離脱。
長州力率いるジャパンプロレス、ユニバーサル・プロレスリング(旧UWF)。
アントニオ猪木の元に残ったのは坂口、藤波、木村と僅かなベテラン勢と実績のないヤングライオン達。
その中に若き日の武藤敬司もいた。
柔道の実績と、恵まれたルックス、天才的な動きなど早くも彼は上層部から期待されていた。
武藤は僅か5か月という異例のスピードでデビューし、一年後にはもう海外武者修行の道へと進んでいたのだ。
修行先はフロリダ。そこでアメリカンスタイルを身に着け武藤は躍進した。
半年後、日本のマットに立った武藤は新人とは思えない動きやポジションで大量離脱で下降気味の新日本に新風を巻き起こした。
そして1988年。二度目の海外武者修行へと出発。
プエルトリコで「ブラック・ニンジャ」となり混沌とする同マットを席巻した。
有明での一時帰国を挟み、再びアメリカに戻るとダラス地区へ転戦。
そしていよいよNWAでグレート・ムタへと変身するのだ!
マネージャーにゲーリー・ハート、顔面にペイントの忍者スタイルは全米中の度肝を抜いた。
新日仕込みの確かなスタイルに驚愕の立体殺法。
ムタはすぐにトップ前線で活躍するようになり、リック・フレアー、スティング、テリー・ファンクと並び当時の4強にまで上り詰めた!
S:着丈66cm×身幅49cm
M:着丈70cm×身幅52cm
L:着丈74cm×身幅55cm
XL:着丈78cm×身幅58cm
XXL:着丈82cm×身幅61cm